オザワークスです。
若干、タイトル詐欺です。
そんなかしこまった話ではなく、なんとなくいつまでたっても投資が自分の本業にはならないよな、と思っただけです。
投資は本業にはならない
米国株投資を始めて10年。
気が付くと資産もかなり増えていて、今年などははっきりと労働年収以上に資産額が増加しています。
労働よりも投資が資産増に多くの影響を及ぼすことが顕著です。
しかしですね、「本業」とか「本職」とかって言葉をイメージしたとき、どうも投資はそういう印象がないんですよね。
労働よりも投資のほうがよっぽど稼げているのに、投資を「業」や「職」と呼ぶにはどうも抵抗がある。
ぼくにとって投資は、どこまで行っても本業ではなくただの投資なんですよね。
考えてみると自分でも不思議な感覚です。
投資をしている無職のおじさん
とすると、もっと資産が増えて仮に今勤めている仕事を辞めたとすると、投資が職にはならないぼくですからその日から無職になるわけですね。
無職だけど、投資で飯を食っているおじさん。
ヤバい人だな。
投資家っていう言葉も、改めて考えてみるとぼくにとっては単に「投資をしている人」という程度の意味で、職業や肩書であるとは思えません。
なるほど。今の仕事を辞めてしまうとぼくは本質的には無職であり、本来の意味での投資家にもなれない人なのですね。
本当の意味での投資家にはなれない
逆に、職業として意識して投資をやっている人、すなわち投資家たらんとしている人は果たして存在するのか。
個人投資家としてはあまりいないでしょうね。
専業トレーダーという人たちはいるのでしょうが、あれらは売買屋であって投資家とはまた違う人たちです。
米国のウォーレン=バフェットのような人が、きっと真の投資家なのでしょう。
そりゃぼくは投資家になれないわけだわ。
てなことをつらつらと考えた晩秋の午後でした。
しかし、「業」とも「職」とも言えないようなものに自分の人生を丸ごと差し出しているわけで。
なかなかクレイジーですね。
オザワークスでした。
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