オザワークスです。
配当狙いの投資とは、電車がひっきりなしに通過する線路の隣で積み木遊びをするようなものです。
通過する電車が株価の動きで、積み木が配当金です。どんなに積み木を積み上げようとしても、電車が通るたびにガラガラどっしゃーん! 元の木阿弥。
でも昔はこんなところに線路はなかったし、静かに積み木遊びができました。
株式投資は配当金に始まったものです。もしも株価というものがこの世になかったら、株式投資はさぞかし平和なものだったでしょう。
そんな、お話。
配当金と株価は食い合わせが悪い
このところ配当金が好きな人に対して嫌がらせのような記事を何本か書いています。その理由は、配当金というものを投資の主軸にし過ぎるとデメリットがあるよ、というメッセージを伝えるためです。
特に資産を最速で増やしたい方は配当金などそもそも不要です。
税金は仕方ないにしろ、特に配当金は株価の動きと相性が悪いです。
配当を出すと株価が下がりやすくなる。株価が下がっている状態で配当を出すとさらに株価が下がりやすくなる。
配当金=社外への現金流出であるがためのデススパイラルです。配当金を出せば出すほど会社の価値は縮んでいく。
と、そこまで考えてぼくは思いました。
じゃあ「株価」なんてものがこの世から存在しなければ、配当好きな投資家はもっと幸せな投資家人生を送れるんじゃなかろうか?
それを探っていくのが今回のテーマです。
株式投資の原初、株価は存在しなかった
かつて、株価なんてものは存在していませんでした。
証券取引所なんてものもないし、株式相場もない。誰も株を売ったり買ったりすることがない時代です。200年以上前の時代ですね。
当時も企業は株式を発行していました。何のために株を発行するのかというと、それは資金調達のためです。
企業は何らかの事業を行うものですが、そのためには資金が必要です。その資金を集めるために企業は投資を募ります。
そのとき、投資をしてくれた人にお金と引き換えで渡していたのが、株券です。
株式市場なき時代のアナログ株式投資
具体的にはこういう流れです。
投資を募りたい企業があります。投資をしたい投資家がいます。
企業の側は、これこれこういう事業を始めるから投資家の皆さんうちの株券買ってちょ、とアナウンスを出します。
株式相場というものはまだないですから、新聞に広告を打ったり、知り合いのつてを頼ったりとすんごくアナログです。何しろ200年以上前のことですから。
企業は株券を1口1000円とか1万円とか自由に値段を付けて、買いたい投資家に売ります。
いわゆる株券の「額面」というやつですね。株式が電子化され、株価が株式の価値を表すものになった今ではもうなくなった(?)概念です。
株式の額面の解説はこちらの記事から。
投資家は、株券を手に入れました。
しかし、株式市場があるわけでもなく株価が上昇するはずもないのに、投資家は何故株券を買ったのでしょうか?
投資目的は100%配当金だった
それはもちろん、配当金のためです。
企業側は新聞広告でもこんなことを謳います。
「もしうちの会社に投資してくれたら、儲けの半分を配当金として支払います」
まだ株取引がないころ、100年以上前の投資家たちの投資目的は、ズバリ配当金でした。というかそれしかないです。
なんとものどかな時代ですね。
昔と今、配当金の存在意義
当時の配当金と現代の配当金の違いは何でしょう?
いや、配当金は別に違いはありません。違うのは、株価というものがあるかどうかです。
300年前の当時、1口1000円で買った株券の価値は、ずっと変わらず1000円でした。倒産でもしない限り。
それも当然で、誰も株を売ったり買ったりしないからです。取引用の値段、すなわち株価が付かないし、考える必要もなかったのです。
昔は、配当金がいくらなのかはどの投資家も気にしましたが、その企業の価値がいくらなのかは問われなかったのです。
それが現代になるとどうでしょうか。
株式市場が整備され、企業の価値を表すとされる株価が目まぐるしく動く現代では、刻一刻と変化する企業の価値を投資家はこぞって注視します。
決算が発表されたり、なんかあるたびに企業価値(株価)がこうも変わる。企業価値が問われまくっているのが現代です。
反対に配当金を気にする人は昔と比べてずいぶん減ったことでしょう。というかぶっちゃけ、株価の変動と比べたらあんまり意味が……。
何故、株式投資の歴史がこのような流れになったのかについては、それだけでまた記事が1本書けてしまうのでここでは割愛します。
未来、AIの時代、配当金がなくなる!?
自分で書いていて、ぼくも自分の性格的に株価の存在しない牧歌的な時代の配当投資が良かったなあ、なんて思ったりしてしまいます。
しかし、時代というものは止まりません。速度を上げて突き進んでいくのみです。
株式投資は配当金に始まりますが、株式投資の歴史は段階的に配当金の存在意義を削いでいく歴史です。
その流れは今後も変わらないと思います。
いずれ、株式投資の主役はAIになります。
そのときに、果たして配当金に役割が残されているのか。
多分ないと思います。AIが示した「今後伸びていきそうな銘柄」に投資するのが未来の株式投資です。
配当金の居場所はそこにはもうありません。
結論、配当金に未来はない。昔が良かった、というおじさん的な結末しかありませんでした。
オザワークスでした。
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