オザワークスです。
SBI証券がメンテナンスのため集計が遅れました。4/27分の配当金です。
2018年合計 $1380.40 今まで全部合計 $12874.07
2018年CFD配当 ¥2689 今まで全部CFD配当 ¥4016
これで2018年4月分の配当金が出揃いました。合計399ドル、400ドルの大台まであと一歩でしたね。それでも前年同月(2017年4月)の配当額を3000円ほど超えてくれたので、まあ良しです。これからもコツコツ株を買い続けて、受け取る配当金を増やしていきます。
胸を張って言いたい。自分は「配当生活」を送っていると
上記の通り、ぼくの月々の配当額は大体3万円~4万円ほどです。ショボいです。当然、配当だけでは暮らしていけず、雇われて働いております。
それでも、自分は「配当生活」を送っていると日々感じています。何故なら毎週必ず配当金を受け取っているからで、額は小さくとも配当の入金がある度に「ああ嬉しい」「ああ自分は投資家だ」と感じながら生きていけるのです。
つまり、配当金の入金はぼくにとって日常の茶飯であり、生活の一部です。ほら、「配当生活」でしょ?
額は少なくてもこれも立派な配当生活と思い、記事のアイキャッチやカテゴリーも「配当生活」にしています。3日と空けずに配当金をもらい続ける投資家の日常を感じていただけたら、と思います。
「配当生活」の誤解
投資関連の言葉の多くはオーバーなイメージが付いてしまっていますが、「配当生活」もそのひとつでしょう。「配当」で「生活」しているんだ、という甘美なその響き。多くの投資家の憧れでしょう。夢の言葉です。
でも、配当で生活するには、実際には億単位の資産額が必要だと思います。その夢はあまりにも遠く、遠すぎるが故に途中で挫折してしまう人が多いのです。それでは意味がありません。
「配当生活」のきらびやかなイメージが、逆に投資家を苦しめるのです。
「配当で生活する」から「配当をもらいながら普通に生活する」へ
自分も含めて多くの投資家にとって、「配当金だけで生活する」ことへの欲求は、実はそれほど強くはないんじゃないかな、と思っています。憧れはあるけれど、でもよく考えてみたら1日じゅう暇かも、と思いません? ぼくはそう思いました。
いくつになっても、ちょっとした仕事はしていたほうがいいような気がします。時間的拘束がいいんですね。
で、そのちょっとした仕事を、日常的に配当金をもらいながら継続していく。これがいいじゃないですか。
要するに、今と変わらない。配当金をもらいながら、普通に働く。そういう「配当生活」こそが、地に足の着いたものなんじゃないかと思います。
大きすぎる夢はかえって身を滅ぼす。地味な「配当生活」に、ぼくのような弱小投資家は逆に安心します。皆さんも、「爆益」とか追い求めてつまずいていませんか?
オザワークスでした。