オザワークスです。
ああっ、ハテナが付いている!
配当よ、お前がオレの味方かどうかさえ疑わなければならない、そんな日が来てしまうとは……。
今までの自分の投資を考えてみよう。率直に。
もくじ
どうやら配当をもらうことは無意味らしいことを知った配当投資家
ぼくは米国株に投資しています。配当金を求めて米国株に投資しています。
この一文(↑)を見て、あコイツわかってねえ奴だ、と思った人ももう少しだけ読んで、ね。一人の投資家が次のステップへ進むための生みの苦しみだから。
というのも、つい先日、ROKOHOUSEシーゲル流ロジカル投資術「配当って受け取っても1円も得してないからね?」というブログ記事を興味本位で見てしまってからというもの、連日悪夢にうなされています。
別に家族に指摘されたわけではないですけれど、たぶんうなされていると思います。
当該のブログでは、企業が株主に配当金を支払うと、支払った分だけ企業価値が目減りするから株価は伸びない。
配当金を支払うことによって企業の成長が阻害されている。つまり、配当金をもらうことには意味がない、とあります。
いや、正確にそんな文言だったのかはこの際問題じゃありません。
問題は、その方が語る「配当って実はそんなありがたいもんじゃないんだよ」という論に対して、これまで「配当ありがたや~」と配当を妄信してきたぼくがまったく反論できないことです。
あちらの筋が通るのです。
こうしてぼくの投資の感覚は、破壊されました。
その様子は、「ショック! 配当をもらっても1円も得していないってホント?」に書きました。
自分のこれまでやってきた投資が無意味だと痛感するのはつらいです。
ですが、どうも配当ってやつは本当に意味がないみたいなので困っちまうんです。
配当について、改めて考えたい。
そもそも配当金は収入としてカウントしてよいのか?
ぼくがそもそも配当目当ての投資を始めたのは、配当金をもらえばそれが収入のプラスになると考えたからです。
株を買ってただ持っているだけで、受け取った配当金が収入になる。株をどんどん買っていけば、配当金という収入もどんどん増える。で、株を実際どんどん買っていました。
しかし、上記の「配当金得してないブログ」によれば、最初に株を買ったお金の一部が企業を経由して「配当金」と名前を変えて株主の元へ戻ってくるだけだから何の得もない、となります。
元々ぼくのお金が一回りして戻ってきただけなのです。元々自分のお金を自分で受け取る。それは収入になるのか?
このことを指して、配当金はATMで預金を下ろすようなもの、と表現する人もいます。ATMで下ろした自分の預金は、果たして収入か?
しかも配当金は、途中で税金を取られるので、実際には損しています。
このように、配当金を収入としてカウントすべきかどうかが、まず相当怪しい。
無職が300万の配当をもらっていたら収入になる?
ちょっと反論したい。
もし無職の人が1億円分の株式を持っていたとして、年間300万円の配当金がもらえるとしたら、それはどうなる?
1億円分の株式の価値が、毎年300万円分ずつ削り取られていくだけなのか?
配当300万円は収入ではないのか? 無職だから、無収入ということになるのか?
その300万円で生活するというのは、1億円の銀行預金を毎年300万円ずつ下ろしていくのと同じか?
では、株式の1億円と預金の1億円の違いって何?
ああ、ダメだ、謎が深まるばかりで反論さえできやしない。
配当金がなくても含み益を切り売りすればいい、の合理性
おまけにもう一つ。
配当金は現金、含み益は所詮いつまでたっても含み益、含み益ではコメや味噌は買えませんよ、などとぼくはしたり顔で言っていました。
それに対し、だったら株の一部でも売れば現金になるだろうが、と対抗意見があり、それを見て固まってしまいました。
そうなんですよ、別に全部じゃなくても売ればいいんですよ。何も配当金しか使っちゃいけない決まりなんてないんです。
ぼくが勝手に株は売ってはいけないと思い込んでいただけなのでした。
おのが不明。
配当は無意味。なら世界中の企業は無意味なことをしているのか?
さらにさらに。
配当金はどうやら意味がないものらしい。
では世界中の企業が、なぜ無意味な配当金を株主に支払い続けるのか、という疑問がある。
中には60数年連続で増配を続ける企業もある。数多ある米国企業の中でも超一流といわれる企業たちだ。
その増配企業たちは、60数年もの間ずっと、配当を出すという間違った経営判断を下し続けているのだろうか?
ぼくにはわからない。
高配当銘柄の株価は、確かに上がらない
次に資産価値に目を向けたい。
「得してないブログ」では、配当を払えば払っただけ、その企業の価値は下がる、つまり株価が下がる、とあります。
ただこれは「理論的な話」であろうと思う。配当を支払う企業のすべての株価が下がってはいない。「下がりやすい」ということだと思う。
ただ、ぼくの実感から言えば、配当を多く支払う企業、いわゆる高配当銘柄の株価は、指摘の通りに「下がりやすく上がりにくい」ことが多いような気がします。【T】AT&Tなどが典型。
企業の成長に使うべきお金すら配当に回してしまって、配当金を支払うたびに少しずつ企業が縮小していく。
それが株価の推移にも表れていて、将来的にも上がることはなさそう。
株価が下がっているのに配当さえもらえればよいのか?
自分が買った後の株価に関しては、ぼくはこれまで鈍感であればあるほど良いと考えていました。
上がればそれはそれでいいし、下がれば買い増ししてもらえる配当金を増やす、そう思っていました。
ただ、「資産額が減っているのに配当金だけもらえればそれでいいの?」と正面から喉元に突き付けられると、返答に窮します。
実際に、ぼくの保有するいくつかの銘柄は、確定させた損失や含み損が1000ドルを超えているにもかかわらず、それらの銘柄から得られる配当金は年間で40ドルとかだったりします。
いやいや長期保有だから。
などと強がりを言っても、1000ドルの損失を年間40ドルの配当金で取り返すには、25年もの歳月が必要になります。それまでずっと保有するのか?
ずっと保有する!
と口で言うのは簡単でも、次の年には損失額は2000ドルに膨らんでいるかもしれないのです。じゃあ50年保有すると考えを変えても、そもそも減配するかもしれません。
い、いつか株価のほうも上がるかもしれないし。
確かに上がる可能性はありますが、それこそギャンブルです。
株価の下落を配当の蓄積でカバーするのは無理
正直に言います。1000ドルの損失を配当金の蓄積でカバーするのは無理です。現実的ではありません。
株価が上がることも、多分ないです。お得意の長期保有も、これに関しては思考停止にすぎません。
ぼくは、下がっている株価をただ見ないふりしていただけです。株価を見ないふりをして、配当金は増えてるからいいや、となんとなく思っているだけでした。
完全に資産額を切り捨てて、配当金オンリーで行く覚悟すらもありません。なんとなく配当のほうが大事、そんな感じでした。
それでもいい加減に考えていられたのは、ポートフォリオ全体で見れば200万円ほどの含み益があったからです。
なので、まあまあ上手くやれてるな、とこれまたなんとなく思えていました。
ここ数年で米国株投資を始めた人なら、全体的に株価は上がっているのだから、含み益があるのは当たり前です。上手い下手の問題じゃない。
そこに気付かないまま、仮に本格的なクラッシュが起こったりすると、ぼくのような人は保ちませんね。とりあえず今がいいだけの人です。
で、そんな人は、いざ「資産額と配当額どっちが大事なの?」と聞かれるとそこで慌てふためくという。
ダサい。
株価はランダムウォーク。例外だらけ。
ただ、話を配当金を払う企業の株価に戻しますと、例外もあります。
天然ガスの輸送を行う【OKE】ワンオーケーという会社は、毎年大した利益も出さないのにそれ以上の配当金を支払っています。
減配が心配されますが、そんなこともなく何故か株価までぼくが投資してから2.5倍くらいになっています。下がりそうな感じもありません。
配当の払いすぎで本来なら株価が落ちていかなければならない銘柄なのに、まったくの謎です。
こういう謎銘柄いくつかあります。
逆に無配当銘柄なら株価は上がるかといえば、上がるっちゃ上がるけど、下がるときもすごい。先日も【FB】フェイスブックが1日で20%だか下げてました。
あくまで理屈の上で高配当銘柄の株価は下げていき、無配当銘柄は上がる。でも、株価というものは時に理屈では考えられない動きを見せる。
株価というものが、あまりにも気まぐれで理解不能です。
株価よ、君は本当に正しく企業価値を表してるのかい? そこがはっきりしないと、色々おかしくなってくるぞ?
ただいま混乱中。けれど、自分で決めなきゃ
はい。
これまで配当を信じて投資を続けてきた一人の投資家が配当を否定され、混乱のさ中にありながら、今一度「配当とは」「投資とは」「株価とは」考えてみました。
混乱しているが故まとまりもなく、何を伝えたいのかも見出せていません。
しかし、このままずっと目を回しているわけにもいきませんから、自分がこれからどうするべきなのか、自分自身で考えて決めなければいけません。
はあ、気が重い。
でも本当に配当って意味のないものなのでしょうか。
それが自分自身わからなくなっているのが、つらい。
オザワークスでした。
私も理論的なことはよくわかりませんが配当金は確実に自分のお金になるので無意味ではないと思います。トータルリターンを考えると配当は税金分削られていくというのもわかるのですが、配当を出さない企業が成長・発展の為に有意義に使えるかどうかは判断に迷うことがあります。
企業が成長・発展→株価上昇の構図なら配当はなくてもいいかもしれませんが、株価というものはどうしても水物だと感じます。だから自分のお金を確保するという意味合いで配当を受け取る意味はあるんじゃないかなあ。
心豊かにシンプルライフ https://crosspearl.com/
クロスパール
お金の確保、ですか。確かに無敗銘柄を買って下落したら、本当に損しかないですもんね。
誰かのブログで見かけた表現で、「配当金それ自体が利益の確定だと思うようにしている」というような言い方をしている人がいらっしゃいました。
配当金をもらう3ヶ月に1度、受け取る配当金の額だけ利益を確定できていると考える、という意味です。
なるほどなあと思います。お金を確保、という考えと近いですよね。
思うに配当肯定派、否定派、それぞれに理がありますね。それぞれ筋が通っている。
その中で、悩みながら進みたいと思います。
いつもブログを拝見し楽しませて頂いています。
オザワークスさんの配当投資への取り組み方は実験的かつ野心的で、見ていて好感が持てます。
私も配当投資が好きで、銘柄を選ぶ際にオザワークスさんを参考にさせて頂いています。
配当派VS無配派と今盛り上がっているように投資スタイルに関して何かと論争起きやすいですよね
私は配当は無意味ではなく、配当分得していると考えています。
たとえ話をしますと、もし1株100ドルで配当金が年5ドルもらえると株を買ったとします。
配当金を貰うと、理論上株価が下がり1株95ドルとなります。
では、保有を継続し、翌年また5ドル配当金をもらったとします。
そうすると、株価は1株90ドルとなりますか?いいえ、なりません。
だって、配当金で支払う分はその企業がその年に稼いだお金から支払われるからです。
企業がお金を稼ぐと企業価値がその分増えるので、1株100ドルに戻るはずです。
配当が支払われた後、1株95ドルとなります。
銀行預金は取り崩せば減りますが、株は配当を貰っても企業が稼ぐ分価値は戻ってきます。
つまり、銀行預金と違い、株は配当を毎年貰い続ける限り得をしています。
また、株価は確かに上がりにくいですが、企業が支払う配当以上にお金を稼いでいれば株価も向上する可能性もあります。
リスクやリターンの話が入ってくると
配当投資やインデックス投資、グロース株投資、バリュー株投資等々の投資スタイルで
メリット・デメリットがあり、ややこしい話になってきます。
どの投資スタイルも一長一短あるので、お互いを尊重しそれぞれが自分の適性に合った投資をしていければと思います。
私はインデックス投資やグロース株投資の誘惑に負けてそちらにも実験的に少しながら資産を振り分けています。オザワークスさんも悩んでいるなら、少額で試してみるのもいかがでしょうか。別の投資スタイルの良さや改めて配当投資の良さを感じることができるかもしれません。
私のコメントが役に立つかどうか分かりませんが、悩んでる様子が心配でついコメントしてしまいました。
これからもブログの更新楽しみにしています。
いつもありがとうございます。
配当と企業の稼ぐ力の関係、良くわかります。
投資先として最良の銘柄は、増配しつつ稼ぐ力も増やしていける企業であることは、誰も否定出来ないところでしょう。
ところが、そういうベストな企業はそうそうあるものではなく、稼ぐ力は並だけど配当だけは多く出す企業が、現実としては多かったりする。
無配派はそういった企業を見ては、それ見ろ配当など出さずにその分自己投資して稼ぐ力を伸ばせよ、となる。
これは、一方では筋の通る話。配当派は耳が痛い。
ただ、配当を辞めて自己投資したとしても、稼ぐ力が伸びるという保証はどこにもない。タバコ産業など、投資しても稼ぐ力がこれから伸びるのか? というような業種もある。
また、自己投資がいつ、どれくらい稼ぐ力を伸ばすのかも不透明です。企業業績にある程度連動する株価の動きもまた不可解。
未来は結局読めない。だったら、定期的に確実に配当金をもらう投資だってありなんじゃないのか?
とここで配当派が盛り返すわけです。
無配派の理屈は理屈として正しくても、結局未来はわからない。この「未来はわからない」というのが1つのキーワードじゃないかなあ、と思います。
おかげさまで少しだけ視界がひらけてきました。
投資もブログもがんばります。